(ヒストリー#1)昭和天皇の沖縄への思い

昭和62年(1987年)10月、第42回国民体育大会(海邦国体秋季大会)が、沖縄県で開催されました。

海邦国体開催の知らせを聞いて、沖縄の人々は高まる期待を隠せませんでした。国体の開会式には、天皇皇后両陛下がご臨席になります。つまり昭和天皇が、天皇として初めて沖縄をご訪問になるのです。

昭和天皇は、海邦国体を半年後に控え、沖縄ご訪問に対するお気持ちを次のようにお述べになりました。

《念願の沖縄訪問が実現することになりましたならば、戦没者の霊を慰め、長年県民が味わってきた苦労をねぎらいたいと思います。また、できるだけ県内の実情を見て回り、これからも県民が力を合わせて困難を乗り越え、県の発展と県民の幸福のために努めてくれるよう励ましたいと思っています》(昭和62年4月記者会見)

昭和47年の祖国復帰以来、昭和天皇の行幸を心待ちにしていた沖縄県は、心を込めてお迎えすべく全庁体制で準備に臨みました。その指揮を執った県知事公室の比嘉安正さんは、次のように語っています。

「沖縄県民としてこんなに光栄なことはありません。また今の陛下のもとで沖縄がこのような機会に遭うことは再びないでしょう。ですから、是非あたたかい気持ちでお迎えしたいのです」

一方で、この頃の沖縄では、「日の丸・君が代反対」「天皇来沖反対」の活動を展開する県民もいました。しかし、当時琉球新報が行った「天皇陛下ご来沖についての県民意識」調査では、県民の42.5%が賛成、反対はわずか8.2%という結果となりました。反対派の思惑に反し、昭和天皇沖縄行幸に寄せる県民の期待がいかに大きなものであったかが分かります。

ところが、海邦国体を間近に控えた9月、思いもよらぬ知らせが人々の耳に飛び込んできました。9月19日、新聞は「天皇陛下、腸のご病気 手術の可能性も」との見出しの記事を一面で報じました。そして、その報道の通り22日、昭和天皇は宮内庁病院にご入院になり、腸のバイパス手術を受けられました。

この突然の知らせを受け、沖縄では県知事以下、関係者が相次いでコメントを発表し、ご病気の一日も早いご平癒(へいゆ)と沖縄行幸実現を念願する声が多数寄せられました。しかし28日、宮内庁は正式に昭和天皇の沖縄ご訪問延期を発表しました。

沖縄ご訪問は、昭和天皇のご悲願でもありました。ご入院中の昭和天皇は、ベッドの上で沖縄ご訪問延期の記事をお読みになり、「沖縄には行かなくてはならなかった」と一言呟かれたといいます。そして、そのご無念を次の御製(ぎょせい=天皇陛下が作られる和歌のこと)に詠まれました。

思はざる病となりぬ沖縄をたづねて果たさむつとめありしを

先のお言葉にあった「戦没者の霊を慰め、長年県民が味わってきた苦労をねぎらう」ことは、昭和天皇にとって、まさに沖縄を訪ねて果たさねばならぬ「つとめ」だったのです。

こうして、昭和天皇の思いは、皇太子殿下(現在の天皇陛下)に託されることとなりました。


(写真は那覇市・波上宮境内の御製碑。沖縄県内では他に宮古島市の宮古神社にも御製碑が建立されています)